クリックしてしまったので広島に来るまでのことを書く
たまに広島 Advent Calendar 2016の記事です。 間違えてクリックしてしまったので書きます。 26日になってしまったので、ちょっとアレですが。
寝る前に自分が広島に来るまでの話しでも少ししましょうか。広島の話でなくすみません。
自分の出身は広島ではなく、秋田です。 なぜ広島に来たのかは後で書きます。ただそんなに立派な理由ではないです。
特に話す事がないので産まれてから今までの話でも。 私は産まれる前から心臓が良くないです。先天性の心臓病といやつです。先天性というのは生まれつきとかそんな感じの意味です。
この病気のおかげだと思うのですが、子供の頃から事情を知っている大人の対応が少しよそよそしく感じてました。さすがに今、大人になってそりゃそうだろと思いますが。
なので、子供の時はかなりの問題児でした。なんとなく他の子供と違う対応をされるのが気に食わなかったのだと。暴れたり隠れたり黙ったりしてごめんなさいと今は思ってます。
と言ってもそんな感じだったのは小学4年ぐらいまでだったと思います。
しかし小学4年までこの感じなので、さすがに自分の親は心配になってしまい、小学校に入学した少し後に障害者の方が通う学校に通わせてました。確か隔週のどこかの曜日の放課後だったと記憶があります。今は治ってますが先天性の病気は実は他にも何箇所ありました。多分2回ほど大きい手術をしてるはず。すいません子供の頃なので記憶が曖昧です。多分それでそういった障害も懸念してたんじゃないかと。
親のそんな気持ちは知らず、自分はその日がなんとなく嬉しい日だと感じてました。その時はまだ6歳ですから、親と一緒なのは嬉しいんでしょうね。
で、色々あって結局行かなくなりました。理由は良くわからないですが、担任の先生が非常に良い人だったとの記憶があるのと、自分の状況が少し理解できたのだと思います。あとは今でも友人の幼馴染がいるのですが、その友人のおかげで、なんとなく気持ちが和らいだのかなと。
しかし、3年になると自分とあまり相性の良い先生ではなかったため、また少し戻ってしまいました。というか、1、2年の記憶はあるんですが、なぜか3年の記憶がほとんど無いんですよね。だから、かなりの嫌だったんだと思います。
小4からは平等に扱うような感じだったので、まあマシに生活できてました。この頃からほとんど問題を起こしてなかったように思います。多分。
ただ、この頃の今でもたまに思い出す嫌な記憶があります。それが健康診断の結果を返す時の話です。
おっさんになったぐらいの歳の人だと、健康診断でA判定をもらえる人って少ないですよね。小学校の頃って大多数がA判定をもらうんですよ。自分は身体がそんな感じなので、絶対A判定をもらえないんです。ちなみに今もです。 ある女子の集団がどの判定かの話をしてて「普通にAだよね」みたいな話をしてるので、それがかなりショックでした。「ああー。普通じゃないんだな」と。 それ以来、普通という言葉を使う時は結構な敏感になりました。
そのまま小学校を卒業して(といっても色々ありましたが長いので省略)、中学に入りという感じです。中学の思い出あまり無いです。
中学は部活動強制的に入らなければいけなかったので、それがかなり嫌でした。自分は身体のせいで運動系に入れないので、適当に選んだ入りたくない部活に強制で入る必要があったからです。行かなかったですが、事情があるのでさすがに怒られなかった。
で、高校に入ります。高校では弓道部に入りました。運動系ではありますが医者の人に許可をもらいました。ほとんど動かないのでオッケーです。
そして高1の夏休みに、ついに心臓病の手術をします。身体がある程度成長しないと手術をするのが難しいためです。たしかそんな理由のはず。
失敗する可能性もある手術だったので、流石に色々な人が来ました。人生で自分のために人が集まるのは3回あって、唯一意識があるのは結婚式の時だとの話をどこかで聞きいたんですが、失敗の可能性がある手術の時もめっちゃ人が来ます。
手術の前日が1番怖くて、流石に寝られなかったです。そのために眠れる薬も貰うんですが、それも飲めないんですよね。怖くて。
どうしようも無くなってゆずを聴いて決心するんですが。ちょうど聴いたCDの最後かシュビドゥバーという曲で、歌詞の内容がゆずが若い頃の自分の事を歌ってる内容なんです。ゆずにとっては過去の歌詞なんですが、手術が上手くいったらこの内容が自分にとっては未来になるんだなと思い少し泣きました。
で、薬を飲んだらすぐ眠れて、朝になったら色々な人がいて、割とすぐ麻酔を打って、幼馴染の友人に行ってくると行って手術しました。
起きたら色々やばかったですが、具体的に書くとちょっとアレなのでやめときます。
まあ、完全に治る事のない病気なので、今も付き合いながらですが昔よりは全然良いらしいです。普通の人の身体の感覚はわからないので、この状態が疲れやすのかそうでないのか良くわからないです。 ただ、少し前にかなり残業をする会社で働いた時は、頭と身体にズレが出てくる感覚が激しくなりました。流石にそこの会社で働くことやめました。
手術を終わってみて思った事は、後悔する人生はやめたいということです。人生は短くなる可能性もあるので、後悔するのはもったいないと感じました。細かいことで後悔はありますが、人生の岐路だと思うところではキツくても一応好きな方に行くようにしてるつもりです。
ここで最初の話に戻るのですが、広島に来たのは高校の時に仲の良かった友人がたまたま広島に来ていたからです。そして、その時暇だったので遊びに来ました。深い理由はなくたまたま遊びに来たら住んでしまったという理由です。
今は結婚して子供も2人います。 正直治ってはいるのですが、もう1つ病気の関係で子供も出来ない可能性がありそうでした。 しかし特に問題無かったです。本当に杞憂という言葉を使うぐらいの心配でした。
もう1つ子供が先天性の病気じゃないか心配でしたが、それも大丈夫だったので良かったです。というか自分の母親の方がホッとしてましたが。やはり心配してたみたいです。まあ自分の件があるので、少し呪縛みたいなのがあったのかなと。それが少し取れて良かったねと思います。
長くなって収集がつかなくなりそうなのでそろそろ終わります。
広島で普通に働いている人の昔の話でした。