広島で働く人のブログ

アイコンはまだ無い

妻の普通を叶えるには非常に難しい

普通の考え方に違いがある。

妻に『普通の生活がしたい』とよく言われる。
現在住んでいる家は昭和後期に作られた家でかなり使い勝手が悪い。
持ち家ではなく賃貸だ。相場よりは少し低めな家賃だが、家賃に比べると大分良い環境ではあるはず。
自分の給料は平均に比べると低い方なので、他の家と比べると無い物が多いと思う。
もちろん車は無い。風呂はバランス釜で物理的にも非常に入りにくい。入りにくいだけでなく見た目が汚い。隙間が多く細かい所まで掃除ができないのだ。他にもキッチンが狭いことや、部屋に湿気が溜まりやすいことなど色々と問題は多い。

妻の育ってきた環境は裕福であると思う。祖父や両親の仕事や資産などを考えると容易にその裕福さが想像できるし、買い物する時や普段の考え方から、自分と育ってきた環境が何となく違うと感じ取れる。

自分の方はあまり裕福ではなかった。
母親と兄と自分の3人家族だったので、そこまで自由に使えるお金は無い環境だったと思う。父親とは早く離婚していたはずだ。離婚していたはずだと言った理由は自分の記憶の中に父親の存在が無いからだ。
母親は変にプライドが高い所があり、養育費は受け取っていないようだった。父親の職業を母親から聞いた事があるが、養育費が出せないような仕事ではなかったと覚えている。離婚の原因も今で言えばDVだったので養育費が貰えない事も無いはずだ。ただプライドが高い母親から聞いたのでどこまでが本当かわからないが…

そんなプライドが高い母親だったおかげかわからないが、自分達3人家族は母親の実家に帰らずに、しばらくは母子寮という所に住んでいた。
母親の仕事が安定したので母子寮は自分が小学生になる頃には引っ越しをして、それからしばらくして母親の給料が上がって、3人が満足に生活をできる家に引っ越しをしたのは自分が中学生になる頃だった。

ちょうど現在の妻と子供と住んでいる家と同じような家だ。
それが自分にとって『普通の生活』だと思っていた。

自分は妻の『普通の生活』は非常に水準が高いと思っている。車がある、子供と一緒に入っても余裕がある風呂、庭のある家、カウンターキッチン、ウォシュレット付きにトイレ、などなど今の自分には難しい。

そのせいだとは思うがよく言うセリフがある。
『貧乏』である。

〇〇が無いから貧乏

そういった事をよく言われる。
ただ自分は貧乏だとは思っていない。妻も契約社員だが働いてるいるし、妻の両親から色々な面で援助をしてもらっている。子供も食べることには苦労していないし、毎月何かを切り詰めて生活しているわけでは無い。

現在自分は転職活動をしている。『普通の生活がしたい』と『貧乏』という言葉が自分にとってあまりにも負担であるからだ。

ただ転職活動はあまり上手くできていない。不採用の通知があると妻はその度に『普通の生活がしたい』『こんな事でイライラさせるな』と言う。ある時、進行状況を説明しないでくれと言われた。ただその通りに進めて、最終的な段階まで進行してから状況を説明したら、何でギリギリになるまで説明をしなかったと言われた。

妻と仕事の話をすると、『アンタは何がしたいんだ!』とよく言われる。
自分はそれに対して、『WEB制作の仕事をしてある程度のお金を稼ぎたい』と伝える。今まで仕事をして得意な技術を伸ばしたらWEB制作系の仕事をできるようになったからだ。
本当は妻に『普通の生活』をさせる事ができるならどんな仕事をしてもいいと思っている。もし妻にそういった事を言うとあまりにも悲しい顔になる。自分の好きな仕事を欲しいと思っているからだ。

現在は子供が2人いる。
子供が産まれる前の話だが、妻も自分も子供を諦めていた事がある。
それは自分が幼少期になっていた病気のせいだ。自分の母親も内心は子供ができない可能性があると思っていたらしい。

そんな考えは杞憂で、本当に問題が無く普通に子供が産まれた。

子供が産まれる前は、『子供が産まれたら他には何もいらない』と話し合った事もあった。ただ実際に子供が産まれると色々な物が欲しくなる。子供の幸せを願う親なら当たり前だ。

良い環境を与えるなら、良い場所に住まないといけない。
子供の可能性を広げるなら、色々な事を体験させないといけない。

妻のために行おうと思っている転職が妻を妻を非常に苦しめていると思う。最初に働いた会社で転職せずに働いていたら、ひょっとしたら妻の『普通』は手に入っていたかもしれない。

ひょっとしたら言葉というのはそれを引き寄せるのかもしれない。
妻は今『普通の生活』でもないし『貧乏』であるから。